昭和63年6月14日 大野城市南ヶ丘に生まれる
体重3,800g弱の恵まれた身体で産まれたものの、生後直後に風邪を引く。しばらくは悪坊だったがあるときを境におとなしくなる。いろんなものに興味を持っていたらしく、あれ何?これ何?と質問攻めをしていたようだ。興味の対象が広く、いろんなことが気になるのは今も変わらない。
大野南小学校時代
小学校2年生より自宅近くの書道教室に通い始める。毎週休みなく通い、センター試験の前の週に稽古に行ったときは先生に驚かれるほど。書道が好き嫌いというより、日常の歯磨きのような感覚に似ており、書かないと落ち着かない気分になる。特別に才能があるわけではなく、書道の先生になるなど露程にも思っていなかった。
平野中学校時代
県下有数の生徒数を誇る平野中学校では様々な友人と交流があり、良い経験になった。部活は野球部に入ったが諸事情により、すぐに退部。代わりに、自然教室の実行委員を皮切りに各種実行委員や生徒会活動に励む。小中高を通じて塾や家庭教師、通信教育といった外部の勉強は高校時代の参考書や問題集を除いては行っておらず、勉強のコツを掴むのが得意であったがそのせいで遊び呆け、当時を振り返るとかなりの時間を無駄にしたと後悔している。
筑紫丘高校時代
学業面において席次は決してよろしいものではなかったものの、予習は一通りこなし学内ではなく校外模試に活路を見出す。通学は往復20kmの距離を、梅雨の時期を除き自転車で通う。ランニングの素養はこのときにできたのかもしれない。また、体力もついて高校3年間は皆勤賞。部活は将棋部に所属。残念ながら全国大会出場は逃したが、今も新聞の将棋欄には目を通し、タイトル戦の棋譜も時折調べている。
九州大学時代
現役で芸術工学部に入学するも、周囲との専門に対する熱意の差にあてられ、初めての挫折を味わう。しばらくの間燻る。転機が訪れたのは3年次。転学部で文学部に移り、再スタートを切る。元々考えることが好きだったので哲学系の倫理学を専攻。心身二元論や心の問題に興味を抱く。そして、ゼミでジョン・ロールズの『正義論』を受講し、政治に対して意識し始めたのもこの頃。在学中より通っていた書道教室の助手を務め、先生が体調を崩されてからは代わりに支部長に就任。
ランニングは月に何度か気が向いたときにする程度だったが、GPSウォッチを購入したことをきっかけにランニングが習慣化。月間走行距離が300kmに達すると元々痩せ気味だったにも関わらず、更に痩せ細ってしまい体型を変えるためと雨天でも走れるようにとジムに入会。
卒業前の時点では一般企業若しくは公務員へ就職するつもりだったが、政治家を目指すと既に心に決めており、両方が中途半端になるのはどうかと思う気持ちがあり、また、教室をたたみ生徒に迷惑をかけてしまうのは心情として苦しく、そのまま書道の先生としての道を歩む。
支部長兼ホリデイスポーツクラブ大野城店スタッフ
書道塾を運営しながら、ランニングと筋トレの知識を活かすのと将来を見据えてコミュニケーション能力を磨くためにホリデイスポーツクラブ大野城店スタッフとして働き始める。イベントで大野城店にて書道教室を開催することができたり、各種座学、ストレッチ講座や筋トレ講座等独自のプログラムを持つことができたりと、充実した日々を送ることができた。スタッフをはじめ、会員の方も和気藹々と気さくな雰囲気で名残惜しい気持ちだったが2018年12月末をもって退職。新たなステージへと羽ばたく準備を整える。